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第三話 傘の音、静かに

Auteur: 月歌
last update Dernière mise à jour: 2025-07-31 15:10:55

山門のそばで待っていた湊は、墓の方をそっと見上げた。

石畳の道の向こう、遥の姿がかすかに見える。立ち尽くす彼女が、誰かと話しているように口を動かしていた。

けれど、傍らには誰の姿もなかった。

まるで目に見えない誰かと会話しているような、そんな様子に、湊は胸の奥に小さな棘のような不安を感じる。

遥は昔から、強がるところがあった。無理をして笑ったり、平気なふりをしたり。でも今は、それとはまた違う。どこか、空を見つめるような目をしているときがある。

――あれから、六年。

不意に、石畳の上で細かな雨が弾ける音がした。

 湊は傘を開き、静かに墓の前へ向かって歩き出した。石畳の道を曲がったところで、遥の姿が見えた。彼女はゆっくりと歩きながら、湊に気づくといつもと変わらぬ柔らかな笑みを向けた。

「おまたせ。……お参り、終わったわ」

「うん、じゃあ行こうか」

湊は彼女に傘を差し向け、並んで歩き出す。頭上では、しとしとと雨の音が続いていた。

「……雨、本当に降ってきたね」

「お前、絶対降らないって言ってただろ」

「だって、本当に降らないと思ったんだもの」

「でも、降っただろ?……遥は昔からそうだよな。決めつけが多い」

「そうかな?」

「そうだよ。ほら、行くぞ」

「うん」

二人のあいだに、しばらく静かな時間が流れた。

寺の坂道を下りながら、湊はちらりと遥の横顔を見た。声は普通で、足取りも乱れていない。さっきの“独り言のような様子”を、問いただすべきか迷ったが、結局、言葉にはできなかった。

結審のあと、遥が悠真の墓に向かうと言ったとき、湊は自然と「付き添おうか」と申し出ていた。

そうやって傍にいたくなるのは、いつも遥が、“どこか遠くを見ているような目”をするからだ。

「……引っ越し、ほんとにするんだな?」

「うん。裁判も終わったし……。さすがに、ずっと実家にいるのも申し訳なくて」

「でも、おばさんたち……寂しがるだろ」

「……それは、そうだけどね。お父さんはわりとあっさりしてたけど。……私が、ちゃんと前に進んでるって思ってくれるなら、安心するかなって」

「ふーん……」

湊は、それ以上は言わなかった。雨の中、二人で歩く音だけが響く。

「……あの、ね。あらためて言っておきたいんだけど、湊。お店で働かせてもらって、本当にありがとう。求人、見つからなかったし……すごく助かってるの。でも、ずっと頼ってばっかで、ごめんね」

「……なに言ってんだ」

湊は言葉を切って、苦笑した。

「こっちは人手足りなかったし、遥がいてくれて助かってんの。お礼を言うのは俺の方」

「でも……私、あんまり役に立ってないかも。アンティークとか詳しくないし……失敗も多いし……」

「いいって。あの店、別に完璧求めてるわけじゃないから。遥が笑って接客してくれるだけで、雰囲気がぜんぜん違うんだよ」

「……湊」

「それに、他人じゃないしな」

ぽつりと、そう付け加えた湊の声が、少しだけ遠くを見ていた。

遥は小さく笑って、返事の代わりに「ありがと」と呟いた。

坂を下りきった頃には、雨が少し強くなっていた。

湊がちらりと腕時計を見る。

「……コーヒーでも飲んでいくか?この近くに新しくできたカフェ、割と落ち着いてていい感じだよ」

「うん。……そうだね。ちょっと、寄っていこうか」

「よし。あそこ、チーズケーキも美味いんだ」

「え、ほんと?」

「嘘言ってどうする?ほら、行くぞ」

冗談を交えた湊の言葉に、遥はふっと笑った。

並んで歩く二人の頭上で、傘の布を叩く雨の音が、柔らかく続いていた。

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